著名なハーバリスト

III. ガレノス

ガレノス(Claudius Galenus、129年頃~200年頃)は、ローマ帝国時代、ギリシアのペルガモン生まれの医学者でした。

"ペルガモンのガレノス"

“ペルガモンのガレノス” Pierre Roche Vigneron によるリトグラフ(1865年)

建築家の父を持ち、裕福な家庭に生まれたガレノスは、アレクサンドリアで医学を学んだ後、古代医学の集大成をなしたとされます。

ガレノスの時代のローマ帝国の地図

ガレノスの時代のローマ帝国の地図

ガレノスの医学は、その後ルネサンス期まで、西洋およびアラビア世界において支配的な影響を及ぼします。この時期の医学は、ほぼガレノスの医学に基づいて行われていました。

外科医としての経験があり、手術も多く行っており、中には、その後2000年の間行われることはなかったような独特で無謀な手法もありましたが、一方では、現代医療の標準となる手術も行っています。

動物を利用した解剖も多く行っており、解剖学を創始したといわます。ただし、当時は人体の解剖が禁止されていたため、ガレノスはブタやサル、ヤギなどの動物を解剖しており、結果的に、人体とは異なる知識も含まれていました。

ブタの解剖を行うガレノス

ブタの解剖を行うガレノス(下段)。 『Mondino dei Liuzzi, Anathomia』(1541年)より

162年ローマに移ると、皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの典医となり、アントニウスに従ってローマ帝国の軍医も勤めています。

ガレノスの業績

臨床医として解剖を含む多くの経験を持った彼の業績は、医学を体系的に確立したことです。また、「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスの医学を、その後ルネサンス期まで伝えたことも、その業績のひとつです。

ガレノス、アヴィケンナ、ヒポクラテス

左から、ガレノス、アヴィケンナ、ヒポクラテスが描かれた挿絵(16世紀の医学書より)

ガレノスは精力的に執筆活動を行いましたが、こうしたことも、彼の医学が以後長く医学において参照された点といえるでしょう。

主な著作『人体の諸部分の有用性』は全17巻、その他の著作も含めてガレノスの全集は全22巻に及びます。

哲学にも造詣が深かったガレノスは、生命の根源的原理として「生気」(プネウマ)という概念を唱えます。

「生気」(プネウマ)は、宗教的に魂と結び付けられ、キリスト教徒はイスラム教徒に受け入れられることも多々ありました。脳、心臓、血液、肝臓など、それぞれの医学的な働きを、それぞれの器官にある”精気”として説明しています。

ガレノス像(ペルガモン)

ガレノス像(現在のトルコ、ベルガマ、ペルガモン)。

こうしたことから、ガレノスの医学は、現代の医学と比べてみると、その一部は正しく、一部は異なっていることがうかがえます。

ガレノスと「四体液説」

ヒポクラテスの唱えた「四体液説」を、ガレノスはその著書「On the Elements According to Hippocrates」の中で述べており、ヒポクラテスの説をさらに発展させて独自の理論を構築しています。 → 著名なハーバリスト I. ヒポクラテス

「四体液説」の4つの性質

「四体液説」では、「熱/冷、乾/湿」の4つの性質に分類される。

「四体液説」は後に、10世紀頃イスラム圏で確立したユナニ医学において発見され、さらに発展します。→ 中世のハーブII – 中世、ハーブの発展を担ったアラブ・イスラム世界

ガレノスとハーブ

ハーブにおけるガレノスの研究は、「四体液説」に基づいて、植物(ハーブ)を「熱/冷、乾/湿」という4つの性質に分類し、体系化したことでしょう。
そして、この4つの性質のバランスが保たれていることが、健康の秘訣だと述べています。

そして、180年頃には、ガレノスは500種類以上のハーブを処方として利用していました。

ところでガレノスは、現代でもポピュラーなハーブの製剤を開発しましたが、それらの製剤技法は「ガレノス製剤」と呼ばれます。

ガレノス製剤とは、

「天然由来であるか否かを問わず、薬効を持つ物質を変容させて、生物が採取しやすくし、診断に沿う病気の治療と予防のために最適な剤形に調剤する技術とその手法のこと」*1)

とされます。

  • *1)『フィトアロマテラピー・エッセンシャル処方集』より

ガレノスが、症状別に処方したハーブの材料には、精油、植物油、浸出油、チンキ剤、芳香蒸留水、植物の粉末などがあります。

その中でも有名なのは、「コールドクリーム」です。
コールドクリームの名の由来は、クリームに含まれる水分が、皮膚に塗った際に蒸発することから、皮膚が冷たく感じることから来ています。

ガレノスのコールドクリーム製法

バラのつぼみを浸しておいたオリーブオイル*2に、白蝋(はくろう)*3を溶かした後、水を加えて攪拌して固まらせます。蝋を乳化剤として使用しました。

  • 注*2)植物を浸しておいたオイルは、”インフューズドオイル”と呼びます。
  • 注*3)白蝋:日光にさらした木蝋。うるし科の植物「櫨(ハゼ)」の実の皮から抽出した木蝋(もくろう)を晒し、漂白したもの。
白蝋が作られる櫨(ハゼ)の木(学名:Toxicodendron succedaneum)

白蝋が作られる櫨(ハゼ)の木 学名:Toxicodendron succedaneum

現代でも、ガレノス製剤は、その製剤技法が継続されています。
ガレノス製剤のコールドクリームであれば、他の現代のクリームが利用する化学的な乳化剤を使用せず、天然のオイル、蜜蝋、ハーブだけを利用して製剤できる点が特徴です。

ガレノス医学の継承と影響

ガレノスの著作は、当時医学において主流であったギリシャ語で書かれていたため、ローマ帝国の東西分裂後は、ラテン語圏であった西ローマ帝国ではほぼ失われてしまい、ギリシャ語圏であった東ローマ帝国に受け継がれ、さらに東ローマ帝国からイスラム世界(ササン朝)へ伝えられることになりました。

イスラム世界への伝承

ササン朝から次のアッバース朝にかけて、この地の大学において学者たちによりアラビア語へ訳されます。

ガレノスの著作に擬せられる『テリアカの書』

ガレノスの著作に擬せられる『テリアカの書』。12世紀末の写本。

イスラム世界へ伝わったガレノスの業績の中でも、「医学の基礎には哲学が必須である」というヒポクラテス以来の考え方が伝わったことは、重要なことでした。

プラトン、アリストテレス、ヒポクラテス、ガレノスのカルテット

ギリシャ哲学の祖・プラトン、アリストテレスとともに、ヒポクラテス、ガレノスがカルテットを奏でている(1516年)。

西洋への再伝承

11世紀、修道士コンスタンティヌス・アフリカヌスなどによってイスラム医学の書籍がラテン語へ翻訳されるようになった経緯で、ガレノスの著書も再び西洋社会に導入されることになりました。この後、ガレノスの著書は西欧医学の正典とされ、各大学の医学部でも教えられることになります。

しかし一方で、ガレノス医学に以後長く頼りすぎたために、西洋ではこの後、医学の進歩が16世紀まで遅れたともいわれます。