中世のハーブ

中世のハーブII – 中世、ハーブの発展を担ったアラブ・イスラム世界

中世、ハーブの発展を担ったアラブ・イスラム世界:グラナダ / アルハンブラ宮殿

5世紀から約1000年の間続く”中世”の時代は、ヨーロッパでは文化的な発展の乏しい”暗黒時代”とみなされてきました。
一方、この1000年間のうち12世紀には、古典の文化がイスラム圏を通じて伝えられた”12世紀ルネサンス”と呼ばれる時代も再評価されており、1000年間全くの暗黒時代ではなかった、という歴史の見直しもあります。

5世紀からこの12世紀ルネサンスまでの約700年間、古代ギリシャ・ローマの時代に続き、ハーブの研究と発展を担ってきたのは、アラブ・イスラムの世界でした。

ダマスカスのウマイヤド・モスク(現在でも利用されている最古・最大規模のモスク)

ダマスカスのウマイヤド・モスク(現在でも利用されている最古・最大規模のモスク)、705年建設。元々キリスト教の教会だったが、7世紀ダマスカスがイスラム教の支配下に入った後、モスクへ改装された。

476年、西ローマ帝国が滅んだ後、医学の発展が盛んとなったのは、500年頃、東方の東ローマ帝国やササン朝ペルシャでした。

さらに、イスラム帝国アッバース朝(750~1258年)では、貿易により文化・経済が発展し、”イスラーム黄金時代”と呼ばれる発展期にありました。
アッバース朝では、エジプト、バビロニアの伝統文化を元にアラビア、ペルシア、ギリシア、インド、中国などの文化も取り入れ融合させたため、学術的な発展も目覚しいものだったのです。

ユナニ医学の誕生

こうした中、10世紀頃、古代ギリシャ医学を源にしイスラム圏で”ユナニ医学”が確立します。

ユナニ医学を担った医師たちは、ペルシャ人、トルコ人、インド人、ギリシャ人、エジプト人、シリア人の医師たちで、アラビア人でない医師たちも広く活躍していました。
アラブの地域で発展したユナニ医学は、15世紀になると、ヨーロッパに逆輸入され、大学でも教えられるようになります。

まさに中世前期は、アラブ・イスラム圏が医学とハーブの発展を担ってきたのですが、その間には、偉大な医師がイスラムの地域で誕生しています。

イブン・シーナ

10世紀、アラブの哲学者・科学者・医師のイブン・シーナ(またはアヴィケンナ、980~1037年)は、ハーブから精油を取り出す技法”蒸留法”を発見しました。
この発見はのちに、20世紀に確立されたアロマテラピーに寄与したと言われます。

細密画に描かれたイブン・シーナ

細密画に描かれたイブン・シーナ

イブン・シーナは100冊以上の著書を残していますが、そのうち、医学について記した『医学典範』は、18世紀までヨーロッパでユナニ医学を教える際の教科書として使われていました。

ティムール朝時代に書かれたイブン・シーナの『医学典範』

ティムール朝時代に書かれたイブン・シーナの『医学典範』

『医学典範』の中の薬草についての記述は、古代ローマの医師ディオスコリデスの本草書『薬物誌』を基にしており、約811種の生薬が記載されています。

古代ローマ時代のディオスコリデスによる本草書『薬物誌』のアラビア語訳版。クミンとディルが描かれている。

古代ローマ時代のディオスコリデスによる本草書『薬物誌』のアラビア語訳版。クミンとディルが描かれている。


イブン・アルバイタール

イブン・シーナより時代が下り、13世紀のアラブの科学者・医師イブン・アルバイタール(1188~1248年)の著した本草書には、2,324種の生薬が記載されていました。

イブン・アルバイタール

イブン・アルバイタール

彼の記した重要な著書として、『薬と栄養全書』と『生薬全書』が挙げられます。
『薬と栄養全書』は、数世紀の間、植物学の権威書であり、医薬品百科事典として1400種類の植物が記載されています。
一方『生薬全書』は、さまざまな病気に対する植物の利用法が記され、イスラム医学の百科事典とされてきました。

ユナニ医学の理論とハーブ

ユナニ医学で使われる生薬は、その80%が植物です。
1種類の植物だけを用いる場合と、数種の植物を混合して用いる場合がありました。

「四体液説」と「四性説」

また、ユナニ医学では、ギリシャの医者ヒポクラテスに溯(さかのぼ)る「四体液説」を引き継いでおり、アリストテレスの解釈・乾/湿と温/冷に区分する「四性説」も取り入れられました。
そして、ハーブも「熱・冷・湿・乾」の4つの性質に分類されていました。

この「熱・冷・湿・乾」は、さらに細かく「熱、寒、湿、乾、強熱、強寒、熱乾、寒乾」の8種類に分けられ、さらに、対応するハーブの強さによって、4段階(1~4度)に分けられました。
1度から4度に進むにつれ、効果も副作用も強くなるとされます。

例として、以下のハーブが1~4度に対応しています。

・1度(穏やかな効果で副作用なし):

  • カモミール(熱性)、スペインカンゾウ(乾性)、スミミザクラ(湿性)、ニオイスミレ(寒性)

・2度(体感できる効果で、副作用はない):

  • サフラン(熱性)、ショウガ(乾性)、ヨザキスイレン(湿性)、レタス(寒性)

・3度(強い効果で、致命的でない副作用):

  • カミメボウキ(熱性)、スベリヒユ(寒性)、ブラッククミン(乾性)、ダイダイ(湿性)

・4度(さらに強い効果で、毒性のあるものも):

  • ニンニク(熱性)、ケシ(寒性)、ホオズキ(寒性)、チョウセンアサガオ(乾性)

これらのハーブと分類(性質)は、現代のハーブ療法にも受け継がれています。

アラビア語訳『薬物誌』より、製薬の様子

アラビア語訳『薬物誌』より、製薬の様子

ガレノス医学の再発見と、ルネサンスへ

このようにアラブ・イスラム世界で発展した古代ギリシャの知識が、12世紀ルネサンスによって再び、ヨーロッパに取り入れられることになります。
ユナニ医学を通じて、その源にあったガレノスの医学(=古代ギリシャ・ローマの医学をまとめた)が再発見されたのです。

古代ギリシャの英知と近世以降のヨーロッパの医学をつないだもの、それが、アラブ・イスラム世界で発展したユナニ医学だったと言えるでしょう。

当時の医学は、ハーブとは切っても切れない関係で、古代ギリシャ・ローマから続くハーブの知識・文献は、このように、中世の政治的局面を経て、場所を変え受け継がれてきました。

さらに、1453年に東ローマ帝国が滅んだ後には、これらの文献と知識は、さらに西のイタリアへ引き継がれて行き、イタリアから始まるルネサンスを加速させることになりました。

中世のハーブIII – イタリアでの医学・薬学の発展とヨーロッパへの普及