近代のハーブ

近代のハーブIV – 20世紀ヨーロッパのハーブと医療

20世紀ヨーロッパのハーブと医療

近代が始まり、ハーブと医療の世界が二極化していた18~19世紀に引き続き、20世紀にはさらにその2つの方向性において、それぞれの研究と開発が進んでいきました。それらはどちらも現代の医療に引き継がれ、さらにこの2極の方向性が”統合医療”として統合されていく前段階が、20世紀の以下のような流れでした。

20世紀の人物と出来事

1. 現代医療の萌芽となる流れ

1928年、ペニシリンの発見

イギリスのアレクサンダー・フレミングは、ブドウ球菌の培養実験中に、アオカビ(学名:Penicillium notatum、現在はP. chrysogenum)のコロニーの周囲に”阻止円”(ブドウ球菌の生育が阻止される領域)が生じる現象を発見しました。彼は、アオカビが生産する物質が細菌を溶かしたものと考え、翌年、この物質を「ペニシリン」と命名します。

培地上の抗生物質が黄色ブドウ球菌の繁殖を阻止している"阻止円"(円形の部分)。

培地上の抗生物質が黄色ブドウ球菌の繁殖を阻止している”阻止円”(円形の部分)。

ペニシリンの発見後、医療用として実用化されるまでには10年以上の歳月がかかったものの、1942年にはベンジルペニシリンが単離され実用化に至り、第二次世界大戦中には多くの負傷兵や戦傷者を感染症から救いました。

第二次世界大戦中のペニシリンの広告

第二次世界大戦中のペニシリンの広告

抗生物質の登場

その後も、現在まで続く多様な抗菌剤開発の礎となったのが、ペニシリンの発見と、医療へのその利用でした。

当初は、細菌(バクテリア)に対抗するものである抗菌薬(antibacterial drugs)が開発されていきましたが、時代が下るにつれ、ウイルスや真菌に対しても働く抗生物質(antibiotics)である、抗ウイルス薬や抗真菌薬が開発されていきました。

ブルーチーズにできたアオカビ

ブルーチーズにできたアオカビ

また、当初は天然由来の抗生物質が開発されましたが、徐々に、化学合成された医薬品も開発されてきました。

こうした流れを経て、自然薬に代わって本格的な化学合成薬の時代が始まったと言えるでしょう。

ペニシリンが単離されたアオカビ(顕微鏡写真、x200)

ペニシリンが単離されたアオカビ(顕微鏡写真、x200)

この西洋近代医学を特徴づける”化学合成薬の時代”は、世界中に急速に広がっていきます。そして、20世紀後半までの現代医学全盛の時代に繋がっていくのです。この流れは明らかに、17~19世紀ヨーロッパの科学者たちによるハーブの再研究に、取って代わることとなります。

しかし、抗生物質や化学合成薬の問題点として、体内常在菌との関係や、耐性菌の問題が挙げられます。

抗生物質は、体内の病的でない細菌にも作用するため、体を守っている常在菌も殺してしまうことがあり、人体全体のバランスが問題になります。また、抗生物質を常用することにより、抗生物質が効かない耐性菌の出現に悩まされることもあります。

「20世紀における偉大な発見」と言われるペニシリンの発見から始まる抗生物質と化学合成薬ですが、こうした問題点に注意することが、近年の課題と言えるでしょう。

2. 自然志向の流れ(現代の代替医療へつながる流れ)

「20世紀における偉大な発見」であるペニシリンは、時代の中で目を見張る出来事でしたが、上にあげた問題点もある一方で、化学合成薬とは全く別の方向性で、植物やハーブ、医療を掘り下げていったのが、20世紀の自然志向の流れでした。これらは、現代の統合医療の一端を担う代替医療の分野の誕生と言えるでしょう。

こうした分野として、主に以下のような人物と療法が挙げられます。

エドワード・バッチ博士:フラワーレメディを開始
エドワード・バッチ博士(Dr. Edward Bach 1886~1936年)

エドワード・バッチ博士(Dr. Edward Bach 1886~1936年)

イギリスの外科医として出発し、ホメオパシー医でもあったバッチ博士が開発したのが、植物や花のエネルギーを水に転写させて摂取する、”フラワーエッセンス(バッチ・フラワーレメディ)”でした。

ホメオパシーと同様に、植物の成分を摂取する目的ではなく、植物の持つ固有の “性質(形態的特徴も含む)” に着目し、それらが、人の病んだ部分を癒す、という考え方です。

"バッチフラワーレメディ"のボトル

現在発売されている”バッチフラワーレメディ”のボトル

同じものが同じものを癒す、というホメオパシーの考え方と同様であるという点で、フラワーエッセンスも「同種療法」と言えるでしょう。それらは、病気の症状や原因の物質に対し、物質的に対抗するのではなく、人体の持つ自己治癒力、さらにはバッチ博士が注目した点として、”心のパターン”を癒し開放する力が、治癒の根源と説かれています。

「インパチェンス」(和名:オニツリフネソウ、学名:Impatiens glandulifera)

「インパチェンス」(和名:オニツリフネソウ、学名:Impatiens glandulifera):
バッチ博士が38種類のレメディの中で、最初に発見しレメディを作った植物。さやの中に入った種は、パチンと爆発するようにはじけて出てくるのが特徴で、花は深紅色のものが多いが、バッチ博士は薄紫色のインパチェンスをレメディに使った。

ホメオパシーと同様に、現在でも、発祥の地イギリスや他のヨーロッパ諸国では、薬局などで購入することができ、家庭でのセルフケアとして親しまれていますが、日本では「医療」とは捉えられていません。

ガットフォセ:アロマテラピーを開始

現在、ハーブの世界でも人気が高いアロマテラピーですが、その”アロマテラピー”という語を始めて使用したのが、フランス人のガットフォセです。

ルネ=モーリス・ガットフォセ(Rene-Maurice Gattefosse, 1881~1950年)

ルネ=モーリス・ガットフォセ(Rene-Maurice Gattefosse, 1881~1950年)

精油(植物が産出する揮発性の油)自体は古くから利用されており、古代エジプトでは圧搾法などで精油が植物から抽出され、また中世のアラビア世界では水蒸気蒸留法が発達し、精油が利用されていました。日本にも江戸時代に、水蒸気蒸留装置が伝わっていたほどです。

ガットフォセはもともと調香師で合成香料の研究を行っていましたが、香料や精油の医療的利用に興味を持ち、この分野の研究を行いました。「アロマテラピー」と命名したこの語は、そうした精油による療法のことを表していました。

アロマテラピーで利用される、ディフューザーとエッセンシャルオイルの小瓶

アロマテラピーで利用される、ディフューザーとエッセンシャルオイルの小瓶

1928年、ガットフォセは最初の著書『芳香療法(アロマテラピー)』を出版します。

・アロマセラピーの歴史(20世紀~)

ガットフォセによりフランス語で”アロマテラピー”と命名された療法は、英語では”アロマセラピー”と呼ばれ、その後、主にヨーロッパ各国(フランス、イギリス、ドイツなど)で、医療として取り入れられてきました。これらの国では、自国の法律により、代替療法の一環として発展しています。

ジャン・バルネ博士:アロマテラピーを再び脚光化

ガット・フォセに続き、”アロマテラピーの巨匠”と呼ばれる人物に、同じくフランスのジャン・バルネ博士がいます。

ジャン・バルネ博士

ジャン・バルネ博士(Jean Valnet, 1920~1995年)

ジャン・バルネ博士は、抗生物質の台頭により、ガット・フォセの命名後、一般的に忘れられていたアロマテラピーに、再度脚光を浴びせることとなりました。

彼は、第二次世界大戦とインドシナ戦争に従軍した際、精油を負傷者の治療に利用し効果を上げ、また後には民間の病院にてアロマテラピー治療を行ったのです。そして、1964年には『ジャン・バルネ博士の植物=芳香療法』(L’Aromatherapie ou Aromatherapie, Traitement des maladies par les essences des plantes)を著すことで、アロマテラピーを再び有名にしました。

近代後期のまとめ

このような20世紀の流れは、現在注目されている”統合医療”(現代医学と、伝統療法の統合)の開始や、ハーブが見直される大きな契機となりました。
生活習慣病などが蔓延する現代では、この時期に開発されたセルフケアや、植物療法などの伝統的な療法が見直されてきているのです。