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ドイツでの本草学
16世紀、『ドイツ本草』(1496年)と『大本草』(1520年)の2冊の重要な本草書は、その後ドイツ本草学が興隆する先駆けとなりました。これらに引き続き、16世紀ドイツでの重要な本草学の書籍として、以下が挙げられます。
オットー・ブルンフェルスによる『本草写生図譜(Herbarium Vivae Eicones)』
1530年、ドイツの神学者・植物学者オットー・ブルンフェルス(Otto Brunfels, 1488-1534年)が『本草写生図譜(Herbarium Vivae Eicones)』(1530年/1536年)を著しました。
この本草書がそれ以前の本草書と大きく見た目を異にしたのは、その図版の絵の精緻さでした。それまでの簡易的な絵とは異なり、より写実的な絵が描かれました。木版画の技術の恩恵もあり、植物観察の観点からも、注目すべき点でした。この図版の改革は、続くレオンハルト・フックスらの書籍にも受け継がれていきます。
また、ドイツの植物にドイツ名を添えて印刷されている点も、新しい点でした。
レオンハルト・フックスによる『植物誌(De Historia Stirpium)』
レオンハルト・フックス(Leonhart Fuchs または Leonhard Fuchs, 1501-1566年)は、オットー・ブルンフェルス、ヒエロニムス・ボックとともに、「ドイツ植物学の父」の1人とされ、50冊以上の書物を著しています。
もともと医師であったフックスの著書は、そのほとんどが医学書でしたが、植物の分野で著されたのが『植物誌 (De Historia Stirpium)』(1542年)です。
『植物誌』では、ギリシャ・ローマ時代の古典の知識も鑑みながら、加えて植物の薬効や、効果のある疾病も記されています。また、ドイツ産の植物が約400種、外国産の植物が約100種取り上げられている中、約40種はフックスによって初めて取り上げられた植物でした。
フックスの『植物誌』は、オットー・ブルンフェルスの『本草写生図譜』を引き続き、さらに植物描写の写実性にこだわり、植物を判別する際に役立つような工夫(花と果実を同時に描くなど)もされています。その後も増版のために図版は400を超えて描かれましたが、それらの原稿は、未出版のまま残されています。
ヴァレリウス・コルドゥスによる『植物誌(Historia Plantarum)』と、『薬法書(Dispensatorium)』
ドイツ人医師・植物学者のヴァレリウス・コルドゥス(Valerius Cordus, 1515年~1544年)もまた、「ドイツ植物学の父」と呼ばれます。彼は、当時ヨーロッパのハーブの伝統の中心であったイタリアへ実際に足を運び、地中海のハーブを直に見聞しました。
1544年、コルドゥスが医学号を受けた年に著されたのが、5巻の『植物誌(Historia Plantarum)』(1544年)で、本草書としての植物学的な解説に加え、薬学的な解説も加えられていました。
また、『薬法書(Dispensatorium)』は、コルドゥスが1542年にドイツ、イタリアで薬草研究を行った内容が元になっていますが、コルドゥスの死後、1546年に出版されています。
フランスでの本草書
シャルル・エチエンヌによる『農業と田舎の家(Agriculture et maison rustique)』
フランスでは、1564年に出版された、医学博士・出版業者のシャルル・エチエンヌによる『農業と田舎の家(Agriculture et maison rustique)』が、フランス語で書かれた最初の本草書とされています。
この書籍の中では、ハーブガーデンが提唱されており、主に、以下の”香りの良い”ハーブを植えることが薦められています。
- バーム、バジル、コストオマリー、ヒソップ、ラベンダー、マージョラム、ローズマリー、セージ、タイム など
シャルル・エチエンヌはもともと医学を学び、後に解剖学書の出版に従事しました。1550年まで医師として活動した後、家業の印刷事業を引き継ぎますが、彼が出版した書籍としては、解剖学の書が有名です。
このように、中世ヨーロッパにおいて発見された印刷技術により、その後の近世では、より多くの本草書が出版されました。
まだ著作権などの概念のなかった時期のため、過去の書籍の記述や図版を無断借用したものも多く、ハーブについての書物もまた、市場競争とも言えるほど多く広められた時代でした。